王寺町議会 2021-03-09 03月09日-02号
明神山から見える主な眺望スポットをクローズアップしながら、「現代、近代、さらに近世、中世、古代」と、こういった時代を遡って、風景を再現いたしまして、解説することによりまして、歴史的な営みを体験することができるというふうに考えています。
明神山から見える主な眺望スポットをクローズアップしながら、「現代、近代、さらに近世、中世、古代」と、こういった時代を遡って、風景を再現いたしまして、解説することによりまして、歴史的な営みを体験することができるというふうに考えています。
いわゆる「第三の性」と呼ばれるジェンダークィアや男女二元論に収まらない性同一性を包括的に含んでいる中世、両性、無性、性別の枠組みから脱するという既存の性別の枠組みに当てはまらない人物のXジェンダー、ジェンダー・オーサム、たとえば「女に生まれたけれど、男と女のどちらのときもある」など、性別を固定しない立場を取る人々はノンバイナリーとされています。
そういう文化財的な価値があるものということと位置づけまして、古代から中世、あるいはそれぞれの時代における明神山からの眺望がどのようなのであったかと、これをVR(仮想現実技術)でもって追体験できるようなコンテンツを今進めております。
そこで、我が大和郡山市の国史公園としての位置づけでございますけれども、やっぱり郡山城というのは、奈良県、近畿圏を見てもそうなんですけれども、中世から近代への時期に郡山城跡を筒井順慶がつくりまして、そして大和の地の中心的なまちとして栄えておったわけです。
内容的には、二上山の成り立ちから旧石器時代、古墳時代、中世、戦国時代、そして鋳物師について掲載されておりまして、大体約50ページぐらいのダイジェスト的なコンパクトな、そういうような香芝の歴史本となってございます。 ○議長(中川廣美君) 関議員。
もちろん民俗についても、古代のみならず中世、あるいは近世においても、御所は特化できるような数々の財産がございますので、そういうのを相対的にやはり考えて、計画をしていく必要があろうかというふうに思います。今現在、この時点で民俗博物館建てます、歴史資料館を建てますというのは、差し控えさせていただきたいと思います。 ○副議長(川田大介) 11番、松浦正一君。
十市城単独では若干無理がありますから、市内では、織田家ゆかりの文化財であります橿原神宮の文華殿、中世の町並みを残す今井町、新口の梅川忠兵衛の善福寺などとの組み合わせが考えられますし、広域的には、高取城、宇陀松山、信貴山、天理の龍王山、上牧町の片岡城、大和郡山の筒井城などが組み合わせの候補として考えられるかと存じます。
◎教育部次長[こども課長事務取扱](澤和七君) 岡城跡は、中世から近世にかけて本市の畑、逢坂、磯壁、良福寺、狐井、下田付近を勢力基盤としていた大和武士岡氏の有事の際に使用する出城の山城跡と推定されています。本市は、古代から大和北西部の玄関口として河内と大和をつなぐ交通の要衝地として重要視されていたことから、七郷山城、送迎山城等の多くの山城が築かれております。
本年、平成30年2月の総務委員会におきましても申し述べてまいりましたが、世界では古くから行政による恣意的な租税をめぐりまして、歴史的にも有名な清教徒革命やフランス革命などの市民革命にも至った経緯があり、中世ヨーロッパでは今日に通ずる議会が既に誕生しておりました。
龍王山は、市長も御承知のとおり、中世の山城として南と北に城を持つ様式で築城されております。標高五百八十六メートルの頂上からは奈良盆地を一望でき、本当に天気次第によりますが、快晴の場合は大阪湾もはっきりと見ることができる、大変風光明媚な場所でございますし、先の整備によって南北の城跡は周遊しやすくしていただいております。
また、このトレンチでは、中世期から現代にかけてトレンチの東側に畔状に盛土を行った形跡が見られた。大和国条理復元図によると、本調査地は、御供田とアツサの二つの坪にまたがっており、第1トレンチはこの坪境に位置する。このことから、今回の調査で見つかった畔状の盛土は、二つの坪を区画する坪境の畔であると考えられる。
調査では現代盛り土及び中世から現代の耕作土の下に、中世から弥生時代前期のものと推定される土器、破片を確認いたしました。 現在、土器・破片の年代を特定する作業を進めております。今後の予定といたしましては、整理作業並びに終了報告書の作成を埋蔵文化財センター文化財課で行いまして、出土遺物などの整備が終わりました後、11月をめどに奈良県教育委員会に調査終了報告書を提出する予定となっております。
調査では、現在盛り土及び中世から現代の耕作道の下から縄文土器を含む層を検出し、この層から縄文土器などが出土しております。次に、本庁舎西側の部分についてでございますが、こちらは7月29日より掘削を開始いたしまして、8月27日に埋め戻しを完了いたしました。調査では、同じように、現代盛り土及び現代の耕作道の下から中世の土器を含む層とその下に、縄文土器を含む堆積層を確認しております。
登山道には古代の古墳群が散在し、裾野は大和を南北に貫く日本最古の道、山の辺の道、また、柳本古墳群を代表する崇神・景行天皇陵、山上には中世の山城、龍王山城跡があり、現在では健康の道として愛好家のウオークイベントしても親しまれています。
一方で、まだ文化財に指定されていないもので文化的価値があるもの、本市の郷土史を考えた場合、お寺や寺内町としての歴史があったり、また古墳があったり、中世の遺構があったりというものがありますが、また一方で、明治以降いち早く近代化を進めた産業のまちであるという側面も本市の歴史にはあります。
これは何かといいますと、奈良県の美術館におきまして、ユニークなコレクションとして奈良、京都のいろいろな作品が出たわけでして、「中世の美と伝統の広がり」というような題で、いわゆる王寺の達磨大師の仏像がここへ出張しまして、この期間、10月15日から11月27日の間、ここに達磨大師がおられたわけでございます。
本市には、特別史跡藤原宮跡、史跡新沢千塚古墳群を初めとする遺跡や名勝大和三山、中世以来の町並みを残す今井町のほか、重要文化財を初めとするさまざまな有形・無形の文化財があります。本市の豊かな歴史や民俗を今に伝える重要な歴史資産であると考えております。これらを保護し、後世に伝えることは、郷土愛の育成と歴史豊かな特色あるまちづくりにつながると考えております。
また次に、多聞城とともに県内の城跡を観光資源としているところと連携してPRしてはとのことでございますが、平城京遷都以来1,300年余りの連綿と続く歴史と文化を有する奈良市にとりましては、奈良時代に限らず、中世以降の歴史文化遺産を観光資源としてどのように取り上げ、PRしていくかは、一つの課題であると認識しております。
しかし、中世歴史学の研究者の網野善彦氏に代表されるように、もともとは朝廷とも縁が深い鎌倉時代からの中世の自由民が、天皇の権威が建武の新政で破綻する中、逆転して差別されるようになったという学説が唱えられました。 また、多くの宿や差別用語になってしまった長吏のいる拠点は鎌倉時代から存在することが明らかになっています。 歴史と文化に多くの足跡を残してきた巨大な存在であるわけです。
広島県尾道市が「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」として認定され、明日香村、橿原市、高取町が「日本国創成のとき~飛鳥を翔けた女性たち~」と、複数の市町村が共同で申請し認められています。今回は18件が認められましたが、文化庁は、2020年までに100件程度まで増やす計画をしています。 私は、この日本遺産認定への取り組みは、本市の観光振興に大きな効果をもたらすものと期待しています。